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2024年11月15日 (金)

医療事件に取り組みながら思うこと

1 医療事件(医療過誤事件)に取り組むようになってから25年以上が経ちます。 私は,医療事件以外の案件の取扱いも多いですが,医療事件に取り組む際に思うことを,(整理されていませんが)感想文的に述べさせていただきます。

2 「案件ごとの個別性」が大きいこと

  弁護士が取り扱う業務は,紛争案件であるか否かを問わず,同じものはありません。全く同様の案件のように見えても,どこかに違いがあり,また依頼人の個性や価値観も様々です。

 その中でも,医療事件はとりわけ個別性が大きいと思います。人間の身体に起きたことを問題にしますので,患者の年齢・病歴・症状,そして具体的な医療行為とそれによる変化は人によって異なります。また,医療機関によっても対応は異なります。案件の進行においても,医療機関による説明の内容・程度,それを踏まえた対応(示談交渉や訴訟における要求内容等)は区々で,その都度,依頼人と相談しながら慎重に進めることになります。

3 相談者(依頼人)の「期待と解決(案件の終了)のズレ」

  医療事件における相談者(依頼人)の期待は,「真実を知りたい。そして,医療機関に非がある場合には謝罪してもらいたい。」ということが多いと思います。

 ただ,生身の人間の身体に起きたことを,事後に完全に明らかにすることは困難(不可能)です。再現することもできません。医療機関から可能な限りの情報と説明を提供してもらうことにより,いわば「情報の獲得」によって(制約があるものの)どこまで真実に近づけるのか,ということになります。依頼人の「納得感」の向上にできるだけ努めることになります。

 他方で,法律上の解決は,金銭賠償が基本です。医療機関の「過失」や「因果関係」という規範(評価)を伴う要件を「賠償金額」という数字にどこまで反映することができるのか,という問題になります。被害内容によるものの,患者側に支払われる金額の大小が医療機関の行為の問題性を客観的に示すという面がありますが,果たして相談者(依頼人)が弁護士に依頼した時の期待と整合しているのか,常に気になります。

4 「起きたことを具体的にイメージ」すること

 医療事件に取り組む際には,医療記録や医療機関側からの説明書面をていねいに読み込みます。特に,医療記録については,読むたびに新たな発見があることが多いです。

 そして,集中して読み込んだ医療記録と依頼人の説明を基に,具体的な医療の場面を思い浮かべます。目をつぶって具体的な出来事(例えば,血管の壁を力を入れて不用意に削り過ぎてしまったとか,認知症の患者が要領を得ない言葉を発するのでうるさいと思って放置した等)をイメージします。論理的ではないかもしれませんが,私はこのイメージを大切にしています。代理人弁護士が医療行為の問題性(つまり勝訴)のイメージを持てない場合には,その案件は責任追及が難しいと思います。見方を代えれば,勝訴のイメージを持てれば,それを尋問における質問(とっさの対応)や,弁論準備手続や和解における裁判所への説明と説得に活かすことができます。自分の頭と体から出てくる発想や感覚というものです。

5 我慢と忍耐と根気強さ

  医療という専門性が高いテーマについて,調べながら多くの資料を検討してそれを文章にするという作業は負担が大きいです。特に,複数(多数)の医療訴訟を同時に抱えている場合には,被告(医療機関)からの詳細な準備書面と膨大な医療記録を前にして,立ち往生しそうになります。

 ただ,これまで何度も一体どうなるのだろうと思ったことはありますが,幸いにも,何とか無事に業務を続けられています。我慢とか忍耐とか根気強さというものが少しは必要なのかもしれません。

6 医療事件への取り組みを続けている理由

  これまで私が抱いていることを感想文的に述べてきましたが,このような事情が あるにもかかわらず医療事件に継続して取り組んできたのは,人間の身体や医療というものに興味と関心があるというのが理由の1つであると思います。大学時代には医事法を研究されていた先生のゼミに参加していました。当時は,脳死や臓器移植が重要なテーマでした。 

 また,私は,会社から契約案件やМ&A交渉の依頼を受けることが少なくありませんが,経済的合理性とスピードに優先度がおかれるこれらの案件と医療事件とでは,依頼人の発想や期待が大きく異なります。全く異なる種類の案件を行っていることも,やや新鮮な発想で医療事件に取り組めている理由の1つといえるかもしれません。

7 最後に

  私が医療事故研究会に参加させていただいてから長い年月が経ち,私より若い会員の方が増え(私はいつのまにかシニアのグループになってしまった,という印象です。),私がかつて幸運にも諸先輩から受けることができた知識や経験を次の世代の方々にお伝えできているという自信は全くありませんが,引き続き私なりに頑張っていきたいと思います。 

                          弁護士 上田 正和

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