「後方視的」という言葉
1 現在,複数の医療事故訴訟事件を取り扱っていますが,医療機関の代理人の準備書面や口頭での説明の際に,「原告の主張は後方視的な見方(考察)である」という言い方がたびたび行われています。以前から医療機関の代理人は使っていた言葉でしょうが,最近やや多く目にするように感じています。比較的若い代理人が使っているという印象を持ちます。これらは私の個人的な受け止め方であるのかもしれませんが,医療機関の代理人が使用する言葉にも流行りというものがあるのかもしれません。
「後方視的」という言葉は,「後方視的な研究」という用法に示されるように,
既に行われたことをさかのぼる(回顧する)という意味です。「後方視的」は英語では「retrospective」(レトロスペクティブ)となります。医療事故訴訟事件において医療機関の代理人が準備書面で書いてくるのは,「・・・という原告の主張は『後方視的』な考察であり,結果責任を問うものであるので,医療行為の評価としては適切でない。」というものです。
ただ,訴訟手続による紛争解決は,そもそも「すでに起きた過去の出来事」に対して「事後的な解決(救済)」を与えるものですから,本来的に「後方視的」なものです。医師や医療機関からすれば,目の前の患者に対してできることを行ったのであり予想できないことが起きた(起きていた)という「前方視的」(英語では「prospective」)な評価を行うべきであると主張することになるので,「後方視的」という言葉は医療事故訴訟を批判的に述べる際に使われます。
2 患者側代理人としては,医療事故訴訟における代表的な主張の組立てとして,
(1)客観的に発生していたよくない状態(解剖所見などが根拠),(2)(1)が発生していたことをうかがわせる症状や検査データ(数値),(3)(2)にもかかわらず医療機関は医療水準として求められる必要な対応を行わなかった,(4)そのため,患者は死亡した(重い後遺症が発生し残存した),という流れがあります。
このような事案においては,(1)客観的に発生していたよくない状態を明確に示していくこと(客観的な事実であり,医療事故訴訟の出発点でもあります。)
が必要です。ところが,これに対して,医療機関の代理人は,「原告の主張は後方視的な見方ないし考察であって適切ではない。」と主張して,原告の請求やそれを基礎づける主張を争ってきます。もっとも,患者側としては,客観的に発生していた状態を明確にすることが出発点で責任追及の前提になります。そして,このことは,決して後方視的な見方や考察というものではありません。客観的に発生していた事実を明確にすることは結果責任を問うこととは異なります。
今後も,医療機関の代理人から「原告の主張は後方視的な見方ないし考察である」という主張(準備書面の記載)がなされるでしょうが,これに惑わされることなく,客観的な事実を明確に示していくことを基本にして,医療事故訴訟事件に取り組んでいきたいと思います。
弁護士 上田 正和